2009年10月15日木曜日

31~50

 


31

コーヒーを淹れる。あたしはコーヒーが好きなのに、出番前日の夜はコーヒーを飲まない。眠らなくてはならないからだ。火照る身体を宥めて疲労を飛ばす必要さえなければ、あたしは本当はアルコールは要らない。コーヒーがあればいいのだ。淋しいときには歌を詠めばいい。へっぽこ女流歌人エリサの作はどれも口ずさむと自然、笑えてくる。
詩は「土と死・いつもきみは海からやってくる」(一部)―――

いつもきみは海からやってくる
そして潮で嗄れた声をして、
いつも茨の間に湧きでた
水の秘めた眸で、
そして俯いて、まるで雲の垂れこめる
低い空みたいだ。
いつでもきみは生き返る
そして太古の野性の事物にも似て、心は
疾うに知っていて閉じているのだから。

失敗。髪を切ろうかと、出かける気になったら落着かない。ゆえに失敗、一行少なかった。再掲―――

いつもきみは海からやってくる
そして潮で嗄れた声をして、
いつも茨の間に湧きでた
水の秘めた眸で、
そして俯いて、まるで雲の垂れこめる
低い空みたいだ。
いつでもきみは生き返る
まるで太古の事物
そして野性にも似て、心は
疾うに知っていて閉じるのだから。


すっかり忘れていた歯医者の帰りに頭をカットする。一〇分間千円、半年か三月ごとに髪が伸びて煩くなったら往けばいいのだから、頗る合理的だよね。原宿のカリスマに通うあいつの気が知れないよ。
「あたしの髪が肩まで伸びたら結婚しようよ!」
なんて言う相手もいないことだし。
詩は「土と死・いつもきみは海からやってくる」(続き)―――

いつでもそれは一つの引毟り、
いつでもそれは死だ。
ぼくらはいつも戦った。
突撃を決意した者は
死を味わい
そしてそれを血の中に持ってゆく。
好敵手みたいに
もう憎み合わずに
ぼくらは同じ
声、同じ痛みを持って
そして貧しい空の下
真っ向から当ってぼくらは生きてゆく。
ぼくらの間には伏兵はなく、
無用の事物はない――
ぼくらはいつも戦うことだろう。


「お月さん、たとえば刀鍛冶は玉鋼を鍛えるとき、斎戒沐浴・精進潔斎して臨むと言うよね?」と、星と雲ばかりなのに東の夜空が妙に薄明るく、隠れていそうな月に向って、あたしは問いかける。「あたしはそれと反対なことをしてないかしら? 折角パヴェーゼ詩と向き合おうというのに?」
「そうさな、確かなことは」と、到底月とは思えぬか細い声が何処からともなく答える。「おまえさんの訳詩の出来不出来には斑があるってことだろうな。集中力が持続しないんじゃろが?」
「そうなの、お月さん、どうしたらいい?」
「ふむ、その答えはエリサ、おまえがよく知っている筈だ」
「分った、お月さん、ありがと」
詩は「土と死・いつもきみは海からやってくる」(続きの続き)―――

ぼくらはまだ戦うことだろう、
ぼくらはいつも戦うことだろう、
なぜならぼくらは側面掩護を受けて
死の眠りを探すからだし、
それにぼくらの声は嗄れて
野性の額を伏せながら
まったく同じ空の下にいるからだ。
まさにこのためにこそぼくらは生まれたのだ。
もしきみかぼくが突撃に屈するなら、
長い夜が続くことだろう
それは平和でも休戦でもなくて
しかも真の死でさえないだろう。
きみはもうきみではない。腕たちが
空しく打ち合うだけのことだ。


やはり時間に縛られ、経済的に逼迫し、身体的に痛めつけられ、精神的逆境と孤独感に喘いでいないと、あたしのおおらかな心は忽ち弛緩してしまうのだろうか? 明日はまた出番。もう寝なくては。おやすみ
詩は「土と死・いつもきみは海からやってくる」(続きの続きのそのまた続き)―――

ぼくらの心臓が鼓動をうち続けるかぎり。
彼らはきみの一つの名前を言った。
死がまた始まる。
知られざる野性の者よ
きみは海からまた生れたのだ。

32

公園のグランド中央に佇んで全天を見回す、月はいない、やはり一昨夜は新月の夜だったのだ。だとしたらあの夜のあの声は月ではなく、あたしの夜の思考を掌る天狼星シリウスの声だったのだろうか? 妙に遠いけど硬く響く声だった。どんなに寂しくても月や星と言葉を交せる、幸せなあたし! 沖縄の〈うるま〉をふかす。もうインドの〈かおり〉は一本も残っていない。明日も出番。おやすみ
詩は「土と死・そしてそのときぼくら卑怯者は」(一部)―――

そしてそのときぼくら卑怯者は
夕べにひそひそ話しながら
家々を、川に臨む小径を、
あの土地あの場所の赤い
汚れた灯火を、和らげられ
黙って見過された苦しみを
愛していたぼくらは――


「ディーラーから法定点検のハガキが来たけど?」
「自家用かい?」
「うん」
「要らん、要らん、要るのは車検だけじゃて」
「そっか、助かったぁ、ステアリングはオイル足してみればいいし」
やっぱ仲間だな、お陰でこの年の瀬に数万円が浮いたよ。こないだの車検なんか久し振りにディーラーに任せたら、なんと三〇数万円の請求書だ。軽なら新古が一台買えたかも。カードがパァだから、いくら愛車のためでも、今年はとてもそんな対応はしてられない。無事是名馬、年が明けるまでは! 年が幾度明けようと、ずっと!
詩は「土と死・そしてそのときぼくら卑怯者は」(続き)―――

生きている絆からぼくらは
両手を?ぎ放し
そして沈黙した、けれども心は
流された血に慄き、
そしてもう優しさはなく、
もう身を委ねることはなかった
川に臨む小径に――
ぼくらは思い知った、独りで生きて
ゆくことはもう役に立たないと。


あれれっ? 書込みが重複しちゃったよ。途中変な広告が混信してきて、それを消そうと躍起になった所為か、黒壱が効いたのか、それとも明日出番で気が急いたためか? こんなことってあるんだね。風邪はもう治りそうだよ。きみのことは忘れないよ、いつまでも。ほんとうにおやすみ

追伸、前掲の詩の最後の二行は、

もう役に立たない、ぼくらは知っていた
独りで生きてゆくすべを。

なのかも知れない。いや、そうであろう。サペンモのあとに勝手にカンマを入れて読んだのが前掲の訳だから。あたしの入れたカンマがなければ、前掲の詩の最後の七行は、

そして沈黙した、けれども心は
流された血に慄き、
そしてもう優しさはなく、
川に臨む小径に
もう身を委ねることはなかった――
もう役に立たない、ぼくらは知っていた
独りで生きてゆくすべを。

となる。大事なことなのに、なぜあたしは勝手にカンマを入れて読んだのだろう? 分ってはいたのに、一旦はそのように読み違えたかったのだ、どうしても。としか言いようがないけど――孤独であることを常に欲しながら、孤独であることにつねに恐怖するあたし。ああ、こんなにも近しいのに、パヴェーゼ詩はあたしにとって遠い道のりだ。

33

いまはただ、この詩だけがある。

きみは土、そして死だ。
きみの季節は暗闇
そして沈黙だ。きみよりも
夜明けから遠い昔の
事物など生きていない。


あれは土抗墓であったのかも知れない。空撮前に中を綺麗にするように立山さんに言われて、長方形、断面は拡げた緩やかな扇形に掘り抜かれている穴の一つにマガリを手に入ったあたしは薄く剥ぐにつれて露わになる地山の艶かしさにうっとりしながら《これは露天風呂かも、引込んだ水に焼けた丸石を二つ三つぶち込めば、そして常緑の葉っぱを敷きつめた上に浸かれば、即席の五右衛門風呂じゃん、絶景かな、絶景かな、あっ、流れ星!》なんて、しばし時を忘れていたのだが…… 思えば、あたしよりも小柄な縄文人の大人が仰向けに、あるいはうつ伏せに、それとも胎児みたいに両手を腿に挟んで背を丸めた姿勢で安らかな眠りに就くにはなんとも恰好な艶かしい穴ではあった。


縄文の墓に転寝してみれば太古の死と夢を共にす             エリサ

「なに、これ?」
「土抗じゃない、円形の」
「縄文人のバーベキュー跡だよ」
「獲物に木の実や山菜や雑穀を詰めて焼けた丸石を載せて葉を被せ、蒸焼きにしたんだな」
「ふうーん、縄文人て意外とグルメなんだ」
「あたしを丸裸にして腹を刳り抜いて果物や野菜をたっぷり詰込んで蒸焼きにしたら美味かろう、なんて考えてるんじゃないでしょうね、ダツラ?」
「ん!ん?んん??」
「それにゃ、この穴でも小さすぎるし」
「ばかリクパ!」
しゃがみ込み黙々と夥しい礫の一つ一つから刷毛で丁寧に土を落しているサクラ先輩とサオリ。
「見てごらん、石が焼けて変色してるでしょ。土器片にも焦げ痕があるし」
「石の変色は焼けたとは限らないよ。土抗墓の上に築いた土饅頭に隈なく並べた礫が崩れ落ちたのかも」
「バーベキューか墓なのか、縄文人に訊きたいところだね」
詩は「土と死・きみは土、そして死だ」(続き)―――

きみが目覚めたと見えるとき
きみはただ苦しみばかりだ、
眸にも血の中にも漲るそれ
なのにきみは感じない。礫が
生きているみたいに、固い土
みたいにきみは生きている。


パワステや満タンついでタイヤ見て空気入れたら早や復活――これでも和歌なら、エリサの臍の上でも茶が沸かせることだろう。
しかし呆れたことに事態はまさにこのように推移した。師走第四金曜日、右手首にときおり走る痛みをも忘れさせる燃料切れの警告灯に急かされるように、渋滞気味の五日市街道脇セルフに愛車を滑り込ませたあたしは、満タン後にふだんは空気圧二・一キロのところをチンチンチン、二・三キロ弱注入した。すると忽ち拉げていた前輪がシャンと立った。やはり立つべきものはいつもシャンと立っていなくては、タイヤには空気を入れなくては! ハンドルが軽い、パワステの利く車の運転がこんなにも快適だったとは! 営業車の始業点検もそっちのけであたしは愛車にパワステオイルも補給しておいたよ。暮れの忙しい時にエンコされても堪らないから、営業車にはバッテリー液を補給しておいた。
本も読まずに仕事は真面目にした、し過ぎたくらいだ、渋谷、赤坂、六本木、築地、青山、銀座、上野、吉原、新宿、吉祥寺、八王子、武蔵村山……明け方までに九万円弱稼いだよ、このあたしが。これで年は越せるし、正月もゆっくりできそうだ。スピードが落ちて眠気に気づいたあたしは運転席窓を全開にし信号待ちでも一秒間も眠らずに単調な青梅街道をぶっ飛ばして朝方帰庫した。納金洗車、帰宅風呂飯、飲みながら「たそがれ清兵衛」を観たから、寝て起きたらほんとにもう黄昏ていたよ、今日は。


キース・ジャレットは最高の最高だよ。あたしはいま愛洲移香斎の物語を目で追いながら、ジャレットのピアノの響きに酔い痴れている。黒壱の酔いもそろそろ発しそうだから、今夜はとても詩の訳に掛かれない。コーヒーを飲んでタバコをふかす。もう日課みたいな哀しみと孤独に浸ることもできない。
《淋しい? それがどうしたという気分》
淋しさをピアノで表現できたら、淋しさほど素敵な感情はないね、きっと? ああ、サオリ、きみはもう眠っているのだろうか? おやすみ


風邪が治らない。顧みてあたしの生き様にはあまり感心しない。でも一体、感心するほどの生き様なんて、人の一生の間にどれほどあると言うのだろう? せいぜいほんの一瞬だけのことか? あたしは何も後悔しない。剣を無性に振るいたくなった、木刀でさえ久しく手にしていないこのあたしが。ジャレットはまだ続く、ザメロディアトナイト、ウィズユー…… ほんとにおやすみ


名も知らぬ花のかおりを嗅ぐほどに募る思いは縄文の空          エリサ

またも一字字余り。字余りにも似てタバコをふかしても落着かないあたしの気分。明日は今年最後の出番。何年振りかで年末年始はゆっくりできるのだ、エイトウマンだからね、あたしは、着物でも着ようかしら。今日は二六日だから『風の地滑りⅡ』の掲載期限が切れる、明日にはこの掲示板も消えてしまうことだろう。明日は出番だけど寝る前にあたしにはやらねばならないことがある。だからみなにゆっくりと暇乞いする間もない。それでも途切れた詩篇の残りを訳し落すことは出来るかも知れない。
詩は「土と死・きみは土、そして死だ」(ラスト)―――

そして夢がきみに纏わせる
しゃくり泣きの動き
だけどきみはそのことを知らない。苦しみは
湖水の水面にも似て
恐れ戦いてきみをとり巻く。
水面にはいくつもの円が描かれる。
きみはそれらが消えてゆくに任せる。
きみは土、そして死だ。

34

月影の芝生の上で少年たちが円陣を作ってサッカーに興じている。もう一〇時近いのに小学生らしい影も中に混じっている。夜の小鳥たちのさえずりにも似て彼らの歓声が月光の青い闇に交錯する。あたしは手袋を脱いで尻に敷き、タバコをふかす。
いちばんチビの少年の履いた蛍光シューズの動きのほうが、あたしにはボールの動きよりもよく見える。のっぽの少年、ニシウーティ?がいま蹴ったらしい…… 観終えてきたばかりの女子フィギュア選手ミキティ、真央の氷上の舞いが少年たちの動きに重なる。
星屑もくっきりと見える晴れた夜なのに、あたしの行く手の西空には上弦の月ばかりが浩浩と照っている。
「お月さん、久し振り」
「ふむ、一昨日は雷雨じゃったからな」
「一昨日だけじゃないよ、ずっと探していたのに、見かけたのはフロントグラス越しに三日月の瘠せたあんたをたった一度だけ」
「働いていたわけか?」
「うん、でも今朝までで仕事納め。あんたに会いたかったよ」
「人間に仲間はいないのかな?」
「いないよ、エリサの永遠の恋人はあんただもの」
「やれやれ」
「お月さん、あたしを食べて」
「とっくに喰ろうておるわい」
「美味しかった?」
「ふむ、普通の人間の味がしたな」
「つまらない、あたしにもっと毒があったらよかったのに!」
「ほっほ」
「お月さん、また明日」
「おやすみ」
「おやすみ」


詩篇「朝きみはいつも戻ってくる」の最後の一行「きみは光、そして朝だ」には実は続きがあったのだ―――

きみには血が流れ、吐息がある。
きみもまた肉と
髪と眼差しと
から生る。大地と草木と、
三月の空と、光が、
震えてきみに似ている――
きみの笑いときみの一歩とは
撥ねあがる水面にも似て――
眸の間のきみの皺は
集った雲たちみたいだ――
きみの柔かな身体
日向の土くれよ。


昨日の夜中、スタスタ帰る道すがら、急に寒気を増した夜空をいくら探しても、お月さん、あんたは見つからなかったよ。寒々と凍える高みに星たちばかり瞬いていた。なのに今日、公園から晴れ渡った青空を見上げたら、東の木立の上にぽっかりと薄い上弦の月が浮んでいたっけ。真っ昼間の悪戯お月さん!
「朝きみはいつも戻ってくる」の忘れられた続きの続き―――

きみには血が流れ、吐息がある。
きみはこの大地の上に生きている。
この土地の味わいと
季節と目ざめとをきみは識っているし、
きみは日向で遊んで、
ぼくらと話をしたのだ。


「お月さん、あんたまた太ったね」
「おっひょっ」
「あたしはまた二キロ痩せたのに! 自ら足りる者と、恋する女との差だね、これは?」
「おっひょっひょっ」
「おのれの幻想に閉じこもるよりは厳しい現実と直面すべきか、あたしはこれまでいつもそうしてきたんだけどね?」
「何を迷っておる? どうせ死すべき人間であるおまえが?」
「いつも勇気をあたしに与えてくれるお月さん、ルナティックとはよく言うよね」
「なに!」
「ごめん、清々しいあたしのお月さま、おやすみなさい」
「ふむ、おやすみ、エリサ」
手袋を忘れたあたしはタオルハンカチを尻に敷いてタバコをふかしながら、ふっくらした上弦の月に話しかけ、満足すると中天に耀く月をつねに仰ぎながら歩ける道筋を選んでずんずん進んだ。そうするとあたしの指先にまで月の光が満ちてくるようだった。これで身体が宙に浮き始めたら、あたしも一端のかぐや姫だけど……


詩は「朝きみはいつも戻ってくる」の忘れられた続きの続きのそのまた続き―――

澄んだ水、春の
若枝、土よ。
発芽するばかりの沈黙よ、
異なる空の下で
幼い女の子のきみは遊んだ、
きみの眸の中にいまも宿る戯れ、
沈黙と、雲とが、深みから
泉にも似て湧きだしてくる。


あたしの鼻孔から夜空に放たれるキャメルの煙。数本吸っただけなのにパリのあの坊やに一缶呉れてしまったっけ。ユースが満杯で疲れ切ったあたしはリュックを下ろすなり舗道のベンチに横になってしまった。ポンコツの軽トラがするする寄って来て、窓から首を出したパリジャンのアンちゃんが身振り手振りも交えて何か一生懸命に言っている。要するに、
「こんなとこに寝ちゃ危ない。よかったらおれのガレージみたいな家だけど、泊れよ」
との親切だった。翌朝帰国の途に就くあたしは空いてるホテルを探して貰うことにした。
フロントとの交渉までしてくれた彼の車の発車際にあたしはあのキャメルの一缶を押しつけたのだった。あたしもまだ吸いたかったけど、運転中の彼があんまり美味そうにふかすものだから「スーヴェニール」とか言って……

詩は「朝きみはいつも戻ってくる」の忘れられた続きの続きのそのまた続きの続き―――

いまこの沈黙の上で
きみは笑い撥ねあがる。
晴れわたった空の下で
きみが生きる甘い果実よ、
このぼくらの季節を
きみが呼吸し生きている、
きみの閉じた沈黙の中にこそ
きみの力がある。青青した
草地にも似て大気の中
きみは身震いして笑う、
でもきみは、きみは土だ。
きみは荒荒しい根っこだ。
きみは待っている土だ。

35

ベランダにしゃがんでキャメルをふかすと、冬の太陽があたしの鼻筋、胸元、股座を直射する。眼下の交差点を往き来する車と人も心なしかいつもより少ない。半眼を閉じると背後で、夜明け前に起きて食事を済ませた男たちが早やテントを畳んでいる。あたしは鼻を膨らませ大きな欠伸を放つ。駱駝になったあたし。間なしに男たちは到底担い切れないほどの荷をあたしの背に山と積み、炎天下の砂丘を果てしなくあたしたちは歩み続けなければならない。けれど夜の間に冷え切った身体を昇ったばかりの太陽が温めてくれるこの瞬間だけはあたしのものだ。あたしは鼻を膨らませキャメルを燻らす。


今朝の夜中、あたしは寒空に冴え冴えと瞬く全天光輝随一天狼星シリウスを左眼に捉えながら凍てつく夜道をすたすた歩いていた。
あたしの天狼星シリウスと会話を重ねることは少し怖い。
「おまえは革命家としての道を直として歩んでいるのか?」
「直としても曲としてもあたしは革命家としての道を歩んでいるとは到底言えない」
「テロリスト・カリャーエフに共鳴したのは一体誰だね?」
「それはあたし、いまも変らない」
あたしの右眼は絶えず見えない月を探す。
「やっと見つけた、あたしのおねむのお月さん!」
呆れたことに一層丸みを帯びた上弦の月はビルはおろかただの二階家の陰にも隠れて見えなくなってしまう。
「パレスティナの星とも土ともなりたかったのだよ、このあたしは、お月さん」
「ふむ、それで」
「だけどあたしは彼の地の星にも土にもならなかった」
「おまえが優れた文章を書けば、それに触発された若者が大勢彼の地の星屑になろうと?」
「ううん、そんなことは思わなかった。あたし自身が敵弾に斃れて、おのれの生命を擲つことだけが重要だった」
「そうは旨く片付くかな? だとしても、現におまえが生きているってことは、すでに選択はなされたのじゃて」
「うん、おねむのデブお月さん、ほんとにおやすみ」
「おやすみ、宵っ張りエリサ」
橙色の拉げた瓜みたいな月がごろんと西北の地平に横になった。
西南の空に瞬くシリウス、西北の地平に沈む上弦の月に挟まれて、オリオン星座が真西に無関心に瞬いていた。あたしは決然、踵を返した。すると真正面に北斗七星が耀く。あたしは北斗第七の星、破軍の星目指して歩を速める。


モカを啜る。美味しいモカ・マタリ。
「キリスト、ユダを生したのはあんただよ」
「なぜ、そう思う?」
「仲間しか裏切る者はいないのに、あんたは使徒たちを生した」
「それは本当だ」
「裏切りが怖ければ仲間など生さぬがいい。あんたは裏切りを恐れぬどころか、それを欲した」
「どうして?」
「ユダがいなければ、あんたは十字架にさえ上れなかった。ユダはあんたの一番弟子だった」
「それも本当だ、しかし」
「可哀そうなユダ!」

36

詩はすっかり忘れてしまえばよかったのに片時もあたしの脳裡を離れなかったこれも「朝きみはいつも戻ってくる」中の一篇(一部)―――あたしはこの詩をおのれから一度突き放してみるために無理にも訳し落とす、蛎の貝殻を剥ぎ取るにも似て―――

死が来てきみの眼を盗るだろう――
朝から晩までぼくらにつき纏い
不眠で、聾のこの死は、
年古りた後悔にも
不条理の悪癖にも似るか。きみの眼は
空しい言葉、
黙した叫び、沈黙となるだろう。
そうして朝ごとにきみが独り
鏡の中を覗きこむとき
虚ろな眼窩をきみは見る。ああ、愛しい希望よ、
その日こそぼくらも思い知るだろう
きみは生命、そして無だと。


やはり旨くいかない。詩がおのれのものにならない。上手い、下手以前の問題があるのだろう、あたしには、昔誰かが言ってたように。だけどその誰かにそっくり返してやるがいい、この詩篇は。あたしがあたしであるために。
詩は「死が来てきみの眼を盗るだろう」の残り―――

誰もかもに死は眼差しを向ける。
死が来てきみの眼を盗るだろう。
死は悪癖を絶つにも似るか、
鏡の中に死顔がまた浮び
あがるのを見るにも似るか、
閉じた唇に耳を傾けるにも似るか。
唖の淵にぼくらは下りてゆくだろう。

37

ああ、ティーナ、貴女は一体? でもあたしたちは遇わなかった。これからも、少なくとも極東のこの島国では。ましてや淺川沿いの高幡不動では! むしろモンブラン・トンネルを抜けた辺りで一度貴女を見かけたかも知れない……
詩は「T.に寄せる二つの詩」(前詩の一部)―――

ある朝、湖畔の
草木がきみを見た。
礫と牝山羊と汗とは
湖の水面にも似て、
日日の外にある。
苦しみと日日の混乱が
湖水を引掻くことはない。


「疲れた」
「貴女が?」
「あたしはいつもエリサであることに疲れた」
「珍しいこと!」
「あたしはむしろ貴女になりたいよ、サオリ」
「なればいい、そしたらあたしが貴女になったげる」
詩は「T.に寄せる二つの詩」(前詩の残り)―――

どの朝も通りすぎ、
どの苦悩も通りすぎるだろう、
別の礫と汗とが
きみの血を腐蝕させることだろう
――いつまでもこうとは限るまい。
きみは何かを見つけることだろう。
混乱の彼方から、朝が
戻ってきて、湖上に
きみは独り立つだろう。


どうして黙っていられるだろう。いまこうしている間にもパレスティナで、レバノンで、イスラエルは無辜の女子供たちを狙撃、クラスター爆撃、殺し捲くっている。二十年前もそうだったし、いまはさらにエスカレートしている。その間あたしは何をしてきたのか? 激しく憤ってはいても具体的に何もしなければ、傍観者と同じではないか? 準国営メディアがやっと3チャンで切れ切れに流す映像に、今更ながらにあたしは震撼してしまう。いまもあたしが書込んでいるデルの同じスクリーンの右上隅の一角に映像と音声が流れ続けている。
どうしてあたしは何もしないでいられたのだろう、いるのだろう、おのれ独りのことにばかりかまけていて? あたしは恥ずかしい、日米安保体制下の日本人であることが。スフナ、ごめんね。守ってあげられないで、助けてあげられないで、空いてる手すら差し伸べないで。きっと、必ず、あたしの出来ることを見つけるから。


「お月さん、お願い聞いて! レバノンとパレスティナの子供たちがクラスター爆弾の不発弾を拾って手を?ぎ取られたり、踏んづけて足を吹き飛ばされたりしないように、どうか守ってあげて!」
「はて、さて?」
「お願い、あたしのことなんてもうどうでもいいから。あたしの命の一年でも二年でもその子たちのために使ってあげて!」
「エリサ、ものの頼み方がちと違いやせんか?」
「分ってる、あたしの命は要らないから、あの子たちを一人でも多く救ってあげて、お願い!」
「ほんとだな、エリサ、後悔しても知らんぞ」
「うん、あたしのお月さん、お願い!」


久し振りの黒川段丘、今日は大晦日だ。林間のベンチに腰を下ろすと、眼の前に淺川段丘が広がる。中央線、淺川、京王線を越えてすぐの平山丘陵に続く。気がつけば、三吉野桜木の発掘現場テントから臨む平井川段丘となんと似通っていることか。ベルボ川から臨むランゲの丘丘はもっと聳えていたが、ここ日本では丘丘までがやさしい――優しさの絶望!
詩は「T.に寄せる二つの詩」(後詩の一部)―――

きみもまた愛だ。
他の人のようにきみは
血と土とから生る。きみは歩く
家の戸から離れたことの
ない人みたいに。


プラパネ越しに現場を覗く。こちらも年末年始は発掘は休止らしい。多摩平の森に抜ける。
「ね、この救命胴衣、貴女がつけて!」
「え、でも……」
「あんたはこれからだもの、恋をして、子供を生んで、さ、早く!」
またも大波を被って大きく傾く洞爺丸。波飛沫の彼方に少女の姿を見失ったあたし。
実際に救命胴衣を居合わせた青年に譲ってこのとき果てたストーン牧師がその美しさに着目した多摩平の森から日野台にかけて歩く。刹那の行動次第であたしも美しい存在になれるのだろうか? ね、ユリノキさん?
詩は「T.に寄せる二つの詩」(後詩の残り)―――

待ちながら見ない人みたいに
きみは見つめる。きみは土だ
苦しんで黙する土だ。
きみはいくども飛び上り疲労を溜める、
きみには口を衝く言葉があり――待ちながら
きみは歩く。愛は
きみの血そのものだ――他の物ではない。

38

詩は「C.からC.へ」(一部)―――

きみ、
凍った雪原の上の
まだらの微笑みよ――
三月の風よ、
雪の上に躍りでた
大枝たちのバレエよ、
呻き白熱する
きみのちっちゃな「オゥたち」――
真っ白い四肢の牝鹿、
優美そのものよ、


デルスクリーン右上隅では村主の昂まりゆく氷上のボレロ、今年も残すところあと二時間余り。辛くも思い出深い一年ではあった……
詩は「C.からC.へ」(残り)―――

ぼくは知ることができるかしら
いまからでも
きみの幸せなすべての日日の
滑るような優美さを、
きみのあらゆる仕草の
泡みたいなレース模様を――
明日の朝は凍っている
下の平野では――
きみ、まだらの微笑みよ、
きみ、白熱する笑いよ。

39

あたしもその広場は通ったよ、何度も、まったく別の想いを抱きながら。
詩は「スペイン広場をぼくは通るだろう」(一部)―――

空は晴れわたるだろう。
松と石の丘丘の上に
どの道も開くだろう。
路上の喧騒は
あの不動の大気を変えはすまい。


中央公園に回った。みな凧を揚げている。あたしの上げる凧はこの公園でもいつも一番高く上がったよ。何度も糸を継ぎ足すものだから、仕舞いには抜けるような青空に小さな黒い染みとなって、糸が切れるや、どこかへ勝手に飛び去ってしまったよ。さよなら、あたしの凧さんたち!
詩は「スペイン広場をぼくは通るだろう」(続き)―――

噴水に色とりどりに
撒きかけられた花花が
愉しむ女たちみたいに
色目を使うだろう。階段や
ルーフガーデンや燕たちが
日向に歌うだろう。


ベンチに坐ってタバコをふかしていると、
「よろしいですか、隣に坐っても?」
「はい、どうぞ」
当然、空いてる隣のベンチに坐るのだろうと思ったら、声の主はあたしのベンチの右端に腰を下ろした。あたしも意地になって、
「もっと真ん中へどうぞ」
と、敷いている手袋ごと尻を左へずらした。犬まで連れてる。
「種類は?」
「チワワです」
大体あたしは愛玩犬は好きではない。猫に顔を舐められて喜んでいる犬なんて大嫌いだ。いつも蹴っ躓きそうになる犬なんて!
「あたしが昔飼ってたのは猟犬ビーグルの雑種でとても悧巧だったけど……ああ、ベルボ、ベルボ、あたしのベルボ!」
「こいつは馬鹿で……」
そりゃそうでしょう、メキシコのテチチは昔食用だったんじゃない? ペルーのはどうか、知らないけど。あたしは適当にベンチを離れて水道の水を飲みに芝生を横切った。ここの水は一番美味しい。
詩は「スペイン広場をぼくは通るだろう」(続きの続き)―――

あの道が開いて、
どの石も歌うだろう、
噴水の水みたいに撥ねながら
心臓が鼓動するだろう――
これこそきみの階段を昇る声だろう。


ああ、ローマ! いつになったら戻れるのだろう、あたしの町へ?
詩は「スペイン広場をぼくは通るだろう」(ラスト)―――

どの窓も石と早朝の
大気の匂いがするだろう。
とある扉が開くだろう。
路上の喧騒は
錯乱した光の中で
心臓の動悸となるだろう。

きみがいるだろう――不動で清らかに。

40

モカを啜る。正月とはいえ、酒はもうたくさん。
詩は「どの朝も清らかに無人のまま」(一部)―――

どの朝も清らかに無人のまま
通ってゆく。こうしてきみの目は
かつて開いた。朝は
ゆっくりと流れ去った、不動の
光の淵だった。黙っていた。
きみは生き生きと黙っていた。事物は
きみの目の下で生きていた。
(苦しみでなく熱でなく影でなく)
朝方の海にも似て、清らかに。



きみのいるところが、光よ、朝なのだ。
きみは生命、そして事物だった。
きみの中できみは目覚めてまだぼくらの中に
ある空の下でぼくらは息をした。
あのころ苦しみでなく熱でなく、
犇きあう異なる昼間の重くるしい
この影ではなく。ああ、光よ、
遙かな明るさ、弾む
呼吸よ、ぼくらの上に
不動の明るい目を向けておくれ。
きみの目の光なしに
通る朝は暗闇だ。

―――詩は「どの朝も清らかに無人のまま」(ラスト)
ああ、なんと長い間あたしはパヴェーゼ詩の世界から遠ざかっていたことか! 縄文谷の土に塗れなければ、さらに長い間、もはや手遅れになるまで自ら封印し続けていたかも知れないあたしの詩の世界……


《ポエムフォーユーのユーの中にはあたしも入っているのかしら?》
つい誘われて、惹きこまれるように覗いて、書込みをしてしまったけど、果たしてあたしの掲示板に返事が来るかしら? 少しドキドキする……
《あなたの詩にはとても良いものがあります。ただ観念だけの観念は要らない。もっと即物的な、物に即した詩があたしは好きです。ザラザラした手触りの感じられる詩、あなたの吐く息の温もりの感じられる詩が、あたしは好きです。生意気なことを書きましたが、あたしの掲示板にも書込んでね! 昶の小説は読まないほうがいいかも》


訂正。いつかの掲示板での牧師の名前はストーンだよ。ストーンさん、すみません。あなたは天国でさぞ面喰ったことでしょう。あたしは天国まではとても行けませんので、ここで謝っておきます。あなたも天国から世界中の子供たちを守ってやってください。あたしのお月さんと一緒に!


フーケアズ《うん、いいなきみの詩、ストレートで。あたしも直球で詩を書いてみようかな? 今夜はもう眠いから、また明日読ませてもらうね。返事は、昶の小説は読まないであたしの掲示板に書込んでね。おやすみ》アイケア

41

ザナイトユースレプト

夜もまたきみに似ている、
心の深みで、黙って
泣く遠い昔の夜は。
そして星星は疲れて通りすぎてゆく。
頬が頬に触れる―
それは冷たい慄きだ、誰かが
もがいてきみの熱の中で、きみの中に
迷って、独り、きみに切願する。

―――詩は「きみが眠った夜」(一部)


夜は苦しんで夜明けを熱望する、
撥ねあがる哀れな心よ。
ああ、閉じこもった顔、真っ暗な苦悩、
星屑を悲しませる熱よ、
黙ってきみの顔をまさぐりながら
きみみたいに夜明けを待つ者がいる。
閉じた死んだ地平線にも似て
きみは夜の下に横たわっている。
撥ねあがる哀れな心よ、
遠い遙かな日にきみは夜明けだった。

―――詩は「きみが眠った夜」(ラスト)
ああ、ザナイトユースレプト!

42

ハービー・ハンコックは最高! ザキャッツウィルノウ

きみの甘い鋪道の上に
なおも雨が降るだろう、
軽やかな雨は
吐息か一歩か。
きみがまた入るとき
きみの一歩の下みたいに、
なおもそよ風と夜明けが
軽やかに花咲くだろう。
花花と窓じきいの間で
猫たちがそれを知るだろう。

―――詩は「猫たちが知るだろう」(一部)
オゥ、イヤァ、ザキャッツウィルノウ!


どんよりと曇った一日、正月二日。さっきまで照らしていた頼りない薄日もない。幾層もの雲のヴェール越しに直視できる冬の太陽。
《お日さん、いつも真ん丸くて芸がないね! エリサを温めても呉れないし》
―――詩は「猫たちが知るだろう」(続き)

別の日々があるだろう、
別の声声があるだろう。
きみは独り微笑むだろう。
猫たちがそれを知るだろう。
きみは太古の言葉を聞くだろう、
疲れて空しい言葉たちは
昨日の祭りで
着終えた晴れ着にも似るか。


匝瑳市? ん? これ、読める人いるかなぁ? 少なくともあたしは読めないよ。ソウサシだなんて! 野栄と八日市場のままのほうがよかったんじゃない? 九十九里の海で散々泳いだあと野手の望洋荘でまた部屋のビール呑み尽くしたいのに!
詩は「猫たちが知るだろう」(続きの続き)―――

きみもまた仕草をするだろう。
言葉を答えるだろう―
春の顔よ、
きみもまた仕草をするだろう。



猫たちがそれを知るだろう。
春の顔よ。
そして軽やかな雨よ、
ヒヤシンス色の夜明けよ、
もうきみに望みをかけぬ者の
心臓をひき裂く、
きみが独り微笑む
悲しい微笑みよ。
別の日々があるだろう、
別の声声と目ざめとが。
夜明けにぼくらは苦しむだろう、
春の顔よ。

―――詩は「猫たちが知るだろう」(ラスト)
ああ、もう終わりが近い。無力なあたし!
サオリ、あたしたちはもう逢えないのだろうか? 逢わぬがよいのだというおのれの冷たい判断をさえ覆せない非力なあたし…… KJの曲ばかり、非情に流れ去ってゆく。

43

ラストブルーズ、トゥビーレッドサムデイ
詩は「いつか読まるべき、最後のブルース」―――

ほんの気まぐれだった
きみはしっかり分っていた―
遠い昔に
誰かが傷ついた。

何もかも同じこと
時は流れ去った―
いつかきみは来て
いつかきみは死ぬ。

遠い昔に
誰かが死んだ―
試みはしたのに
分らなかった誰かが。

オゥ、ラストブルーズ、トゥビーレッドサムデイ!
ああ、ほんとに終ってしまった、長いようで短かったあたしの人生! さよなら

44

まだ夜中だけど、もう正月三日だ。二〇〇七年がぼくにとって、世界にとって一体どんな年になるのか、皆目分らない。はっきりしているのはぼくにとって今年は大きな転機になるということだけだ。もう昨日までのぼくではない。刮目して見てるがいい!
詩は「裏切り」ⅰ―――

今朝ぼくはもう独りではない。最近の女が
船底に身体を伸ばして舳先を重く
しているから、夜の眠りのまだ抜けやらぬ冷え切って
濁った静かな流れを辛うじてボートは進む。


復刻ラガーを啜り、ピスタチオを摘みながら、アメリカンスピリットのブルーパックを燻らす。久し振りの静かな正月だ。
詩は「裏切り」手直しのⅰとⅱ―――

今朝ぼくはもう独りではない。最近の女が
船底に身体を伸ばして舳先を重くして
いるから、ボートは夜の眠りに冷えきって
濁った静かな流れをかろうじて進む。
日向に急な波また波と砂掬人足たちの耳につく
声声で騒がしいポー川を出て、なんども撥ねたあげく
曲り角をかわして、なんとかサンゴーネ川に
ぼくは抜け出た。「なんて夢かしら」と、仰向けの身体を
動かしもせずに、空を見上げながらあの女がのたまった。
あたりに人っ子ひとり無く両岸は高く
上流ほど狭まり、ポプラ林に塞がれている。


モカが切れたからマンデリンを足す、序でに火の玉小僧に貰ったチャーガ粉末を少々。
コーヒーの味がなるいのはこの粉末のせいだろう。いかに延命のためとはいえ命が四五分延びるのと、コーヒーの味のどちらを採るべきか、それは問題だ。いや、さして問題にしてないからこそ、何年も前からチャーガだけ残っているのだ、コーヒーはすぐ切れるくせに。
詩は「裏切り」ⅲ―――

この静かな流れの中でボートのなんと不躾なことか。
艫に直立し櫂先で水を切るごとに、
舟がもたもたと進むのをぼくは見る。白い衣裳に包まれた
女の身体のあの重みゆえに沈む舳先のせいなのだ。


マイフェヴァリットスィングスか、確かに切れのある演奏ならば、奏者は誰でもよい、いまだけは。
詩は「裏切り」ⅳ―――

連れの女は朝寝坊だからとぼくに言ったきりまだ動かない。
身体を伸ばして独り木木の梢を見つめているし
まるでベッドの中にいるみたいでぼくのボートを邪魔している。


オフコースケアマイサン!
詩は「裏切り」ⅴ―――

いま彼女は片手を水面に垂らして手のひらが泡を立てるまま
にしてぼくの川さえも邪魔している。ぼくは女を見つめられない
―女が身体を伸ばしている舳先を―女は頭を傾げて
下から詮索好きにぼくを見つめて、背中をくねらす。
舳先から離れてもっと真ん中へ来いとぼくが言うと、
卑怯な微笑みがぼくに答えた「近くに来て欲しいの?」


忘れていた感覚……おのれが若い男だという感覚……
詩は「裏切り」ⅵ―――

他のときには、木々の幹と礫との間のダイヴに雫を垂らしながら、
ぼくは舳先を太陽に向け続けて、仕舞いに酔い痴れると、
この片隅に接岸して、水面と太陽の光線に盲いて、
竿を投げ出すなり、背面跳びに跳びこんで、
汗と息切れを木木の吐息と草の抱擁に
鎮めたものだった。いまは影は血の中に
重い汗と弱まった四肢に沸きたち、
木木の丸天井がアルコーブの光を
濾過する。草の上に尻を落して、言うべき言葉も知らず
ぼくは膝っ小僧を抱える。連れの女はポプラの森の中に
笑いながら、姿を消した。そしてぼくは女を追跡せねばならない。


詩は「裏切り」ⅶ―――

ぼくの肌は陽に焼けて黒く剥きだしだ。
連れの女は金髪で、両手をぼくの両手の上に置いて
川原に飛び降りるとき、その華奢な指先が
隠された肉体の馨しさを
ぼくに感じさせた。他のときには馨しさは
小舟の上で乾いた川水と日向の汗だった。
連れの女がもどかしがってぼくを呼ぶ。白い衣裳をまとって
木々の幹の間を廻っているのでぼくは女を追跡せねばならない。

明日は今年の初出番、正月早々暇だろうから、縄文本の二冊でも持って行こうか。

45

気がつくと窓の外は薄暮れている。眼下の二階家にも遠くのビルや新築病院にも灯りが点っている。空間に隔てられて無関心な人びとの暮しや生活が、でもそこにはある。一服する間にもどんどん暗くなる。仕事場から見下ろす、ぼくはそんな時刻が好きだ。カーテンもせずに、呆けたように外を眺めている。
詩は「祖先たち」ⅰ―――

世界に唖然として宙に拳を振り回し
独り泣く、そんな年令にぼくはなった。
答えるすべもなく男たちや女たちの話に
耳を傾けるのは、少しも楽しくない。
だがそれも終った。ぼくはもう独りではないし
答え方は知らずとも、ぼくは答えずに済ませていられる。
おのれ自身を見出してぼくは仲間を見出したのだ。


つねに念頭にある詩、難解さに苦闘している詩、ばかりではない。間に、久しく忘れていた詩がある。初めて読むかのように読み返すと、一行一行が驚きだ。卵が孵るかのように、あるいは羽化を待つ蛹のようにぼくを待っていた詩行たち、詩群たち、待たせてご免、もう暫く待っていてくれ給え。ぼくにはやらねばならないことが沢山あるんだ。
詩は「祖先たち」ⅱ―――

ぼくは発見した、生れる前に、ぼくはつねに
頑健な男たち、おのれを持する者たちの中に生きてきたし、
彼らの誰も答えるすべは知らなかったがみな落着いたものだった。


大股に怒ったようにサッサと歩く、温いジョキングよりかよほど速い、そんな歩き方が戻ってきた。夜空に棚引く雲の明るさから、背後に満月が照っていることは分っている。ぼくは振向きもしない。
詩は「祖先たち」ⅲ―――

二人の義兄たちが一軒の店を開いた―ぼくらの家族に訪れた
最初の運―なのに見知らぬ義兄は真面目で、
勘定高く、無慈悲で、倹しかった。女だった。
もう一人、ぼくらの義兄は、店では長編小説を読んでいた
―故郷は小説だらけだった―そして入ってきた客たちは
素っ気ない返事を聞くことになった
砂糖は無い、硫酸塩も無い、
みな売切れた、と。ずっと後になんと
後者が破産した義兄に手を差し伸べたのだった。


ずっと付待ちしながら『海を渡った縄文人』を読んでいたから、昨日は稼ぎというほどのものはない。
「年始廻りの客を乗せただけだから三万七千円にしかならなかったよ」
「お疲れ、そんなに稼いだの?」
と、朝方疲れ切って帰宅したぼくに連れ合いは相変らず言ってくれる。苦労ばかり重ねさせているのに、うっかりするとついそのことを忘れてしまう。いや、今更どうして思い出したのだろう?
詩は「祖先たち」ⅳ―――

こうした人たちのことを思うとぼくはおのれをずっと強く身に感じる
肩を怒らして口もとに荘重な笑みを繕いながら
鏡を見つめるよりかずっとましだ。


まったくパヴェーゼ詩には付け加えるべきものが何もない。わが身に汗して、痛む身体で初めてすとんと腑に落ちる詩句も多い。
詩は「祖先たち」ⅴ―――

遠い昔にぼくの祖父が生きていた
おのれの百姓の一人に騙されるにまかせて
やおら彼はぶどう畑を耕した―真夏にだ―
見事にし終えた仕事を見るために。このように
ぼくはいつも生きてきたし、いつも確かな
顔つきで手ずから稼いできた。


パヴェーゼの詩を読むといつも力づけられる。自殺した詩人の残した詩篇がこれほど人を勇気づけるものなのか。晩年の詩作には読んでいるおのれも自死に惹きこまれそうな雰囲気さえ漂うと思えるのに、処女詩集『働き疲れて』には彼の生れ故郷ランゲの丘丘の土と血に由来する強靭な力が漲っている。そしてむろん、都会トリーノの女たちと気だるさも……
詩は「祖先たち」ⅵ―――

そして家族の中で女たちは重きをなさない。
つまり、ぼくらの女たちは家の中にいて
ぼくらを世に出して何も言わない
そして彼女らは何者でもないし、ぼくらは彼女らを思い出さない。


もともと信頼関係にない他人は裏切ることができない。前掲詩「裏切り」において、〈ぼく〉は〈最近の女〉をおのれだけの秘密の場所サンゴーネ川上流に連れ出すことによって、まずボートを裏切り、女が手のひらで川面と戯れるにまかせて川を裏切り、本詩で見出した仲間〈おのれ〉をもついには裏切るのである。あらゆる裏切りはまずおのれ自身の内に生ずる。パヴェーゼの洞察は裏切り行為の最深部に達している。
他者に対する裏切りならば、ユダの例を挙げるまでもなく、教会の礎を築いたかの聖人ペテロが〈鶏鳴の前に〉キリストを三度も裏切っている。これに較べれば裏切りの後直ちに縊死したユダのほうが遙かに潔い、男だ。ペテロは女だった。
ロシア秘密警察のスパイ、アゼーフも女だった……
詩は「祖先たち」ⅶ―――

どの女もぼくらの血の中に何か新しいものを注入する、
だけどその仕事の中で彼女らはみな無と化し、ぼくらだけが
こうして更新されて独り、継続するのだ。


ぼくらは悪癖と、痙攣と戦慄とに満ちている
‐ぼくら、男たち、父たちは‐中には自殺した者もいる、
だけどたった一つの恥だけにはぼくらは決して染まらなかった、
ぼくらは決して女にはならないだろう、誰の影にも決して。

ああ、いい詩だ。エリサに読んで聞かせたい!


ぼくは仲間たちを見出して一つの土地を見出した、
悪い土地だ、そこでは特権とは
未来について考えながら、何もしないことなのだ。

アッハ、愉快な男だね、パヴェーゼって! 
きみはどう思う?


一つの仕事だけではぼくにもぼくの仲間たちにも充分でないからだ。
ぼくらは裂けることができるけど、ぼくの父たちの一番大きな夢は
いつも勇敢な男として何もしないことなのだった。

ふうーん、そうなんだ。ウィーンには往ってみたい、こないだは往かなかったけど。旅は続けたいね、いつも、可能ならば。でも、パヴェーゼの言うことは分るよね、東北の男たちならば? サント・ステーファノ・ディ・ベルボ! ベルボ谷の少年たちは元気かな?


ぼくらはあの丘丘をあてどなく歩き回るために生れた、
女たちなしに、そして両手は背中の後ろに組んで。

終った。ぼくの大好きな詩篇だよ。きみはどうかな? 誰がどうでも構わない。もう一度あの丘丘をこの目で見て、この足で歩けるならば!

46

外衣の裾をびしょ濡れにするほど激しく降る冷たい雨の中、ぼくは長靴を履いて水溜りを真っ直ぐ突っ切った。傘を差したまま一服すると、なぜか縄文谷を思い出した。まだあの谷の縄文の泥のこびりついているこの長靴のせいか。さっき雨が止んだ空を探したが月は見つからなかった。いま仕事場の階段を上ると、踊り場の真っ正面に満月が昇っていた。雨上りの澄んだ空のせいか、とても美しい。下方に宵の明星を従えている。あの吊り燭台みたいに明るく耀く惑星が月の傍では流石に朧げだ。ちょっとした嵐の後のこの空みたいにぼくの心も澄み切っているといいのだけど、ちょっとした波乱を乗切ったばかりのぼくの心はなお漣を立てている。やはり夜明け近くまで仕事をして昼間寝るのは無理があるのかも知れない。非番の日にもそれがぼくの仕事のスタイルなのだが。集中を要するから、何よりも中断を嫌うのだ。しかし普通の人と生活するには、やはり早寝早起きがいいのだ。ゆえに今夜は仕事は早目に切上げて、寝床で縄文本でも読むとしよう。おやすみ


珍しくも真夜中まえに帰途に就くと、まだ東天に満月が大きな暈を冠っていた。七色の虹みたいにあまりにも綺麗な暈なので、レンズが綺麗さを増幅してやいないかと、眼鏡を外して裸眼で見てもやはりそれは虹のワッカだった。仔細に見るとまだ満月には二、三日を残した月だったけど、暈の中に先刻ぼくが金星と見誤った星を取込んでいる。この星を頂点とすれば不等辺三角形の底辺に当る両端にも星が瞬いていた。これは大吉か大凶の徴か。月と暈と三角星を見上げながら真っ直ぐに進む、何れにせよ、家路はこちらの方角だから。
詩は「南の海」ⅰ―――

ある晩ぼくらは丘の中腹を、
黙って歩く。夕闇の中で
ぼくの従兄弟は白服の大男で、
ゆったりと動き、顔は赤銅色に陽に焼け、
むっつりしている。黙るのはぼくらの力だ。
ぼくらの先祖の誰かはよほど独りだったに違いない
‐愚者の群れの中の偉い男だったのか、あるいは
ただの間抜けだったのか‐
身内にこれほどの沈黙を教え込むとは。


南天には天狼星シリウスが冷たく笑っている。
「仕事を中断して帰るほどのことかね?」
「うん、ぼくは恋はするけど、むかし心密かに忠誠を誓った者だけは守り抜かんとね」
「浮気ということか?」
「ぼくの場合、すぐに本気になる性分が問題なのだ」
「それではあちこち火が点いて忙しいことだ」
「ばかな! 消さねばならぬほどの大火はぼくの胸の中にひとつだけだよ」
「では、往くがよい、人間の男よ」
「おやすみ、天狼の星よ」
詩は「南の海」ⅱ―――

今晩ぼくの従兄弟が話した。彼と一緒に登るか
とぼくに聞いた。晴れた夜には頂上から
トリーノの、遙かな灯火の照返しが
見分けられる。「きみはトリーノに住んでいるのだから…」
と彼がぼくに言った「…だけど当然だ。人生は
故郷から遠く離れて送られるものだ。儲けて愉しんで
そしてそれから、おれみたいに四十にもなって、戻ってみれば、
何もかも新たに見出すのだ。ランゲは不滅だ」。


黒川段丘を抜けて淺川へ出る。天気は良いのに強い風が土手道では遙か北方の強力な低気圧の影響か、冷たい烈風が荒れ狂っていた。近く、と言っても高尾辺りの山並に雪が残っている。昨日の雨が山では雪だったのだろう。真っ白の富士山は相変らず綺麗だ。平山橋詰の堰の様子が見たくなって一番橋付近から足を伸ばした。幼い頃の釣りの拠点だ。著しく整備されてしまってはいるが、面影は残っていた。堰上幾筋かの水を渡って、堰突端のコンクリに尻を落してタバコをふかす。ゴーゴーと川音がする。ほとんど川の真ん中だ。懐の中、ジッポでやっと火を点けてあとはチェーンスモークキン、激しい風と流れに弾き飛ばした吸殻の行方も知れない。
詩は「南の海」ⅲ―――

こうとだけぼくに言ったけどイタリア語は話さずに、
ゆっくりと方言を使った。その言葉は、この丘
そのものの礫にも似て、ひどくごつごつしているから
二十年間もの異なる言語や大海原も
引掻き傷一つ拵えられなかった。そして彼は坂を
考え込んだ眼差しで歩く、それは子供のぼくが
少し疲れた百姓たちによく見かけた眼差しだ。


ぼくは呆れたファンヌッローネ、怠け者だよ。
昼に一杯飲んで、目が覚めたらもう夕方だ。予約の歯医者に急ぐ。朝早く起きて、思いっきり散歩して、思いがけず南口に出たから駅舎のパニッシュでスープセットを頼んだまでは良かったのだが。ガラス越しの陽射しが熱いくらいの出窓カウンターでクラムチャウダーを飲みながら、ウィンナーロールを齧る。イタリアの素敵なバルでの朝という朝を思い出したよ。
詩は「南の海」ⅳ―――

二十年間彼は世界中を歩き回った。
ぼくがまだ女たちに抱かれた幼児だった頃に彼は出立して
彼は死んだのだと口々に言われた。その後、彼の話は
時折女たちが、お伽噺みたいに話した。
が、ずっと口の重い男たちは、彼のことを忘れた。


ある冬の日、亡父のもとに一葉のカードが届いた
港に舫う船船の緑がかった大きな切手が貼ってあり
ぶどうの豊作を祝う言葉が添えられていた。みなびっくりしたけれど、
育った幼児が意気込んで説明した

―――詩は「南の海」ⅴ。
爆弾低気圧一過、正月の空は今朝は穏かに晴れ渡っている。マンデリンを啜る。やさしい青い空に鱶は群がっていない。凧一つ揚っていない。烈風吹き荒ぶ昨日のような天気のほうがぼくは好きだ。ゆえに散歩も早目に切上げた。


葉書はタズマニアという島から来た
ずっと青い海に囲まれていて、獰猛な鮫がうようよいる、
太平洋の中、オーストラリアの南だよ。そしてつけ加えた
きっと従兄弟は真珠を採っているんだ、と。そして切手を剥した。
誰もがそれぞれ意見を述べたけれど、みなが結論した
死んでなかったにしろ、いずれ死ぬだろう。
それから誰もが忘れて長い時が過ぎた。

―――詩は「南の海」ⅵ。
「餌でも撒いたんですか、こんなに集ってきて?」
「いえ、そそっかしい一羽が寄って来て、釣られてみな来ちゃったんですよ」
「へぇえ?」
「ほら、ぼくがこうしてタバコに火を点けると、みな散っていくでしょ?」
「あら、ほんと!」
鳩の群れも小母さんもやっとぼくのベンチから離れてくれた。
《鳩や小母さんにもてても詰らない。ぼくがもてたかったあの子は自分からは一度もぼくに話しかけてくれなかった。仕事上の指図を除いては! 同じ新人のこのぼくに!》
《ダウンで着膨れしたオバンが芝生の向うで体操している。まさかこのぼくの気を惹こうとしてでもあるまいが……》


ああ、ぼくがマレーの海賊ごっこをして遊んでから、
どれほどの時が流れ去ったことか。そして最後に
死の淵に水浴びに下ってから
そして遊び友だちを木の上に追いつめて
太枝を何本も叩き折ってライバルの頭を
かち割って叩かれてから、
どれほどの人生が流れ去ったことか。別の日々、別の遊び、
最も狡猾なライバルたちを前に別の流血の
動揺。さまざまな思考と夢たち。

―――詩は「南の海」ⅶ。
いまは懐かしい気もする狡猾なライバルたちならぼくにもいた。振返ってみればあの頃ぼくはシニカルな口ほどにもなく結果重視ではなかったのだ、心の奥底では。誰が知ろう、人知れず自分でも呆れるほど素朴に原則に拘泥していたぼく。あろうことか、そのライバルの一人がこのぼくにのたもうたものだ、「大事なのは過程だ!」
「百年の不作、振られて良かったね!」
そんな声が遠くから聞える。何もかも知っているエリサはあれ以来、音信不通、その行方は杳として知れない。


都会はぼくにとめどない恐怖を教えた。
雑沓、大通りがぼくを震えさせた、
ときには顔つきから窺い知る邪な意図さえも。
ぼくはいまでも目の中に感じる、
大喧噪の上に数知れぬ街灯の嘲笑する光を。

―――詩は「南の海」ⅷ。
白い綺麗な雲が青空にいくつも浮んでいる。もくもくした雲も下方に見える。自然ばかりが美しい。芸術を除いては、人工的な美に心を動かさなくなったのは何故なのだろう。都市美はすぐにも社会の歪みに思いを致させるためか、醜い六本木、表参道、代官山界隈。そこに棲む、あるいは集る人間が悪いのだろう。場末の猥雑な雑沓のほうがまだましだ。だから人はインドに惹かれるのか…… 


ダツラは言った、さまざまな群衆が押し寄せるヴァラナシに惹かれて、と。
詩は「南の海」ⅸ―――

ぼくの従兄弟は帰った、戦争が終り、
わずかな帰郷者の中、群を抜いていた。それに彼は金を持っていた。
親類たちはそっと言った「せいぜい、一年のうちに、
有り金残らず使い果たしてまた旅に出るだろう。
見放された人間はこうして死ぬものだ」。


さっきまで白かった雲が薄いピンク色に染まっている。薄墨色に変化した雲もある。間もなく夕焼けが始まる。そして間なしに青い闇が訪れる。一日のうちでぼくはこの瞬間が一番好きだ。
詩は「南の海」ⅹ―――

ぼくの従兄弟は決然とした顔をしていた。故郷に
建物の一階を買ってそこにセメントのガレージを通じさせ
その前にぴかぴかのガソリン給油機を据えさせて
湾曲部の実に大きな橋の上に広告板を掲げさせた。
それからその中に機械工を置いて金を受取らせ
彼はタバコをふかしながらランゲ中を歩き回った。



その間に郷里で、彼は結婚した。外国女みたいに
しなやかで金髪の少女を彼は掴んだ。
きっとある日世界のどこかで出会ったに違いない。
それでもなお彼は一人で外出した。白い服を着て、
両手を背中に回して顔を赤銅色に焼いて、
朝から市場を渡り歩いて無表情に
何頭も馬を取引した。その後もくろみが
失敗したときに、ぼくに説明した、彼の計画では
谷からすべての家畜を取り上げて
彼から発動機を買うことを人びとに強いる心算だった、と。
「だがな、あらゆる畜生の中で」と彼は言った「一番の畜生は、
そんなことを考えたこのおれだったよ。おれは弁えてるべきだった、
ここでは牡牛と人とはまったく同じ一つの種なのだと」。

―――詩は「南の海」⑪
中田英寿は名監督になるだろう。世界を渡り歩いた後に、故郷の丘に帰って来て欲しいものだ、本詩の従兄弟みたいに、そしてきっと同じことを言うだろう。


今日もいい天気だ、散歩ついでに五才堂に寄り、お袋のために西友でイヤフォン、オリジンでサラダ小皿五種を買った。もう正月とも言えまい。職場に急ぐサラリーマンを横目に公園で一服する。今年からおれはエイトマン、仕事始めは明日だ。不意に訪れた余暇に聊か戸惑い、後ろめたささえ覚える。日頃の十二勤で如何に消耗し尽していたか、その証拠がこれだ。たった四勤分の余暇でもやっと息がつける。これで小説の一本や二本書上げなかったら、嘘だろう。牛蒡齧ってでも頑張るしかない。
詩は「南の海」⑫―――

ぼくらは半時間以上も歩く。頂上は近い、
辺りには風の擦れる音とピューと鳴る音がますます激しくなる。
ぼくの従兄弟がいきなり止って向き直る。「今年は
ポスターにおれは書くぞ‐サント・ステーファノは
ベルボ谷の祭りでは
いつも一番だった‐そいつはカネッリの連中も
言ってることだ」。それからまた坂を登る。


土と風のかおりが闇の中でぼくらを捲きつける、
遠く離れていくつかの灯火。牛舎と、自動車と
辛うじて音が聞える。そしてぼくは考える
海から、遠い土地から、継続する沈黙からひったくり、
この男をぼくに齎した力について。
ぼくの従兄弟は果した旅また旅の話をしない。
口数少なに何処そこにいた、あそこにもいたと言うばかりで
彼の発動機のことを考えている。

―――詩は「南の海」⑬
ああ、さおり! 赦しておくれ、ぼくはきみに連絡を取ることを自らに禁じてしまった。おのれに残る僅かなプライドのためか、きみの将来を慮ってか、自分にも分らない。ただ、きみの幸せのために、おのれの欲望を殺すことはぼくにとってはいとも容易いことなのだよ。もっと困難な道はないのか? いつもふと、そう思ってしまう……


ただ一つの夢だけが
彼の血の中に留まった。彼はかつて巡航した、
オランダ漁船チェターチェオ号に火夫として乗組んで、
そして白日の下、重い銛が何本も飛ぶのを見た、
彼は見た、鯨たちが血の泡の間を逃げまどい
追跡される鯨たちが尾を振上げて軽快ボートと戦うのを。
ぼくと話すと彼はそのことに時どき触れる。

―――詩は「南の海」⑭
遠くのビルの窓という窓が夕陽に耀いている。もう一度、急速速歩の散歩に出て、多摩平の発掘現場を覗いてみようと思っていたのに、早や夕暮れも近い。今頃はとっくにブルーシートを地山に張って、道具類の片付けに入っていることだろう。ああ、ダツラの部隊はいま何処にいるのだろう?


だけどぼくが彼に言う
彼はこの地上で最も美しい島島の上にオーロラを
見た運のよい男たちの一人なのだ、
するとその思い出に彼は微笑んで答える、陽は
おれたちにとって一日も終り近くなってやっと昇った。

―――詩は「南の海」⑮
夕暮れの雲と空の美しさに見惚れていると、ぼくはただこのためだけの、眺めるだけの存在なのかと思う、現実との関わりを一切持たずに。それもよい。しかしこの身体に流れる血が、いつまでもそれを赦すまい。一度立てば、全世界を火の海に、この地表を血の海に染めても悔いぬ大義を求めて、ぼくの心臓は鼓動し続けているのだ。    おやすみ

47

ぼくのぶどう畑、プラム畑、栗林
ぼくがいつも食べてきた果実の生る土地、
ぼくの美しい丘丘‐そこにはある最良の果実が生る
ぼくはいつもそれを夢想するくせに一口も齧ったことがない。

―――詩は「女先生たち」①
まだ眠れない。先刻速歩で帰宅しながら脳中に綴った一パラグラフほどの文章、大して出来は良くないがいま書込んでいるものよりは遙かに完結した文章がどうしても思い出せない。一つでもキーワードが見つかれば、芋蔓式にすべて復元できるのに、その一語さえ見当らない。意識の原稿用紙にぽっかりと穴の開いた感じ。そうしたことはよくある。運転中、あるいは夢の中で綴った挙句、失われてしまった幻の原稿群。執筆時の意識上に掬い取られるのはほんの氷山の一角か。無事、紙上に定着できる詩行は、凡庸な捕虫網では捕獲困難なウスバシロ蝶にも、アポロン蝶にも似るか。 ほんとにおやすみ


月が行方不明だ。夜空の明るさから、月が出ているのは確かなのに、何処にもいない。オリオンばかりが無意味に瞬いている。先日はあと数日で満月と見た月が、満ちるどころか欠けつづけて、昨夜とうとう真半分の下弦の月になってしまった。三日月に向う月は上に弦があっても下弦だろうね?確か?すると、下に弦があると見えても、上弦の月だろうか、論理的には?はて?何処に雲隠れしているのだろう、今夜の月は?答えても呉れないなんて!『縄文のムラと社会』を返さなくては。しっかりした本なので、読みきってしまいたいのだが、時間が足らない。明日、客待ち中に読み切れるかどうか?


六歳になって田舎に夏にだけ
来るとき、ほんとに大したことだ
まんまと道なかに逃げ出して裸足の大きな少年たちと一緒に
牝牛たちに草を食ませながら、酸っぱい果実を齧るのは。

―――詩は「女先生たち」②
読むときはすっと頭に入るし腑に落ちるからあまり気にかけずにいたのに、いざ訳す段になると酷く手こずらせる、そんな詩句が一行の中にはあるものだ。ここのエ・ジア・モルト・リウッシーレで半日潰れてしまった。おやすみ
以下は「女先生たち」①(再掲)―――

ぼくのぶどう畑、プラム畑、栗林
ぼくがいつも食べてきた果実の生る土地、
ぼくの美しい丘丘‐そこにはある最良の果実が生る
ぼくはいつもそれを夢想するくせに一口も齧ったことがない。


散歩の途中でベンチに腰を下ろし、日向でタバコをふかしながら、縄文人の埋葬や抜歯について読むのは楽しい。母系制の社会と言っても、ぼくらの考えるものとはかなり違っていたことだろう。
詩は「女先生たち」③―――

夏空のもと、牧場に寝そべって、
遊びと喧嘩のあいまに女たちの話をした
そしてあの連中は謎また謎を知っていた
神々しい怠惰の中で冷笑しながら囁かれた謎の数々。


別荘まえの路上にまだ見える
―日曜日―故郷から出てゆくパラソルたち。
だが別荘は遠いし少年たちはもういない。

―――詩は「女先生たち」④
「お天とさんに向けるとチンポが曲がるよ!」
「由っちゃんの、むくれてやがる、ミミズなんかにひっかけるからだよ!」
青空の下、遊び疲れて野辺を吹き渡る風の中で連れション。連れウンチはしなかったな、たぶん、したいときが違ったからだろう。


ぼくの姉はあのころ二十歳だった。ぼくらに会いにいつも
テラスに登ってきた綺麗な小さなパラソル、
明るい色の夏服、笑みのこぼれる言葉たち。
女先生たち。たぶん彼女たちの中で
貸していた本―恋愛小説―や
ダンス・パーティや、出会いの話をしていたのだろう。ぼくは落着きなく耳を傾けて
露わな腕や、陽に曝された髪の毛のことは
まだ想わなかった。ぼくの唯一の出番は
彼女らがぼくを選んで一団の案内をさせ
ぶどうを食べて地面に腰を下ろすときだった。

―――詩は「女先生たち」⑤
やっと虫歯の治療が終った。縄文谷の発掘に端を発して、ぼくの歯茎の発掘は今日まで長引いたのだった。感情の嵐の激発に次ぐ激発で、ぼくは十年も余計に歳を取ってしまった気分だ。その一方でつねに頭をクリアな状態に保っておきたいというのは聊か虫が良すぎるか。かつては明晰すぎるおのれの脳を暫し眠らせたいと人知れず願ったことも多々あったのに。


月も星もない曇りの夜空ほどつまらないものはない、まして都会の夜空は。うっすらといつまでも明るくて。そして真の闇さえない。水飲み場で喉を潤して見上げると空の一角に星がいくつも瞬いていた。その方角だけぽっかりと薄雲に穴が開いていたのだ。寒空に冴え冴えと光る瞬き方ではない。温かみのある光。
詩は「女先生たち」⑥―――

彼女らは一緒にぼくに戯れた。一度ぼくに訊いた
ほんとに恋人はいないのかと。
ぼくはうんざりした、かなり。ぼくが彼女らといたのは
おのれを区別するため。たとえばぼくは樹に登って、
見事なぶどうの房を見つけて力強く走れるのだった。


詩の後半にはフローラが登場する。ぼくは前半を「パヴェーゼの詩篇」ファイル中に収めて、後半は読み返すだけに留めておく。明け方までにはとっくに訳し終えて、次の詩篇に取り掛かれるかも知れない。けれども考えることも、入浴後に眠くなるまで布団の中で縄文本に目を通すことも必要なのだ、ぼくには。とりわけ零時過ぎには帰宅するようにしないと。明朝も六時半には、
「ご飯だよ」
と、起されるだろうから、昨日みたいに三時過ぎに寝て、今日みたいに昼過ぎに眠くてつい昼寝をしてしまうのでは叶わない。ゆえに、おやすみ


いや、一日遊んでしまった、と言うか昨日は朝から丸半日忙しく動き回ったあと、端末に向ったのだが、別ファイルの編集とはいえ、ソフトの扱いには疎く、まるで違うことをしていた。挙句夜中の三時過ぎに就寝して、今朝も六時半に起されてしまった。熱い風呂に入ってやっと眠気を飛ばし、散歩に出て〈うるま〉をふかし、仕事場に到着した。思えばこうして気侭に書込む時間帯こそぼくにとってはむしろ特異な息抜きの時間なのかも知れない。ブルマンを啜る。タバコをふかせば、これでも半生の代償なしには得られなかった至福の時間なのだ。ピスタチオが切れたからカシューナッツを二粒三粒口の中に抛りこむ。それでも詩の翻訳と関ると何か本質的な力がどこか働いてくる。ぼくへのリキアーモ、呼び戻す声はまだ途絶えてないのだ。
詩は「女先生たち」⑦―――

あるとき鉄道でこうした少女たちのうち
最も控えめな少女とぼくは出会った、どこか気をとられたような
顔つきなのに燃えるような金髪でイタリア語を話した。
フローラと呼ばれていた。そのときぼくは
汽車の信号盤に小石を投げつけていた。女友だちがぼくに訊いた
家ではそんな勇敢な行為を知っているのか、と。
混乱したぼく。すると気のよいフローラはぼくの腕を取って
ぼくの姉に‐と彼女は言った‐会いに往くところだ。


初夏の大いなる午後だった
そして少しでも木陰をとおって近道をしようと
ぼくらは牧場を突っ切った。ぼくに身を寄せてフローラが
何か訊ねたけれどもう覚えていない。
ぼくらは小川にさしかかってぼくは飛び越えようとした。
結局ぼくは草陰の流れの真っ只中に落ちてしまった。
岸に残ったフローラが大きな笑い声をたて、
それから腰を下ろすと、見てはだめと命じた。

―――詩は「女先生たち」⑧
コカインの海に漂うにも似て、半覚半睡のうちによい詩が書けぬとも限らないが、こうも眠気が大気中に密集してきては、半醒のままにこの詩を訳し落すことは無理かもしれない。きっと日の暮れるほうが早いことだろう。


結局、眠ることにした、十分間でも。でもその前にこのパラグラフの残り九行に目を通した。ぼくのフローラに眠りの中で会えるように。美の三女神にも似たフィレンツェのあのフローラなら、何年振りのことだろう? 要塞の銃眼に腰を下ろして溢れるような笑顔をぼくに向けてくれた逆光の中のフローラ! ブルーネットのきみ、碧い眸のきみ、おやすみ


ああ、睡ってしまった! フローラどころか、誰とも会わない深い睡り。それでも目覚めればまだ明るくてよかった。明日はもう出番だというのに、まだ今日が終らないでよかった。エニウェイ
詩は「女先生たち」⑨―――

ぼくはすっかり動揺した。濯ぐみたいに
流れをかき乱す音がしたからいきなり振向いた。
敏捷だし隠された肉体が強かったので、
ぼくの女友だちは岸を降りた、目を眩ます、
両脚も露わに。(フローラは裕福で働いてなかった)。
すぐに身体を蔽いながらぼくを叱ったけれど、
やがて笑い合って彼女に手をさしのべた。
帰路ぼくは幸せすぎるくらいだった。
しかし家に着くや、ノックはなかった。


フローラみたいに、二十歳くらいの子がぼくの故郷にはいる。
彼女らこそはああした丘丘の最も健康な果実だ、
豊かになった親類が彼女らに勉学させ
中には野良で刈り入れた者もある。彼女らは確かな顔つきで
真面目にきみを眺めて大した食欲だ。
まるで都会にいるみたいに衣裳をまとうお嬢さんたち。
本から採った空想的な名前ばかり、
フローラ、リーディア、コルデリアそしてぶどうの房たち、
ポプラ並木さえも、彼女らの美しさには敵わない。

―――詩は「女先生たち」⑩
もう急いで出かけなくては! ではまた! きみと!


黒壱のブルマン割ってほんとに風邪に効くのかな、確かに温まりはするけれど? マーシャ! マーシャって一体誰だろう? ぼくのマーシャはいまも雪深い札幌西郊にそそり立つあの鳥籠ハウスにいる筈だけど? 懐かしいアリョーシャとマーシャ! 二人のマーシャ?? 三人のマーシャたち??? なぜ「別れの曲」ばかり流れてくるのか、空耳かしら? 
明日は出番、この詩、今夜中には訳し落せないかも知れない。超特急で終るかしら? こういうときには一気呵成に、と言うべきものだが? 『カテリーナのふしぎなお話』あるいは『縄文のマツリと暮らし』を寝ながら読まなくては!
おやすみ
詩は「女先生たち」⑪(ラスト)―――

ぼくはいつも想像する、誰かが言うんだ
あたしの夢は三十まで
風の吹きすさぶ丘の天辺の
家で暮すことよ、そしてあの上に
芽生えた野生の草木だけを世話するの。
彼女らは人生が如何なるものかよく承知している。学校では
あらゆる悲惨、幼い獣たちの公然たる
獣性の真っ只中で過しているのに、
彼女らはいつも若い。老婆になったら……
だけど老婆になった彼女らのことを考えたくない。ぼくにとっては
いつも眸の中に宿っている、綺麗なパラソルをさして、
明るい色の服をまとったぼくの女先生たちだ、
‐バックには、いくらかごつごつして陽に焼けたあの丘‐
ぼくの果実、いちばん美味しい果実は、毎年新たに甦る。

48

「雪?」
「ゆきんこ?」
「雪だ、雪だよ」
「東京に初雪だ」
「松戸の竹村さんはちゃんと運賃、振込んでくれるかな?」
「ばかね、なぜ交番に着けなかったの? 証人がいないから、知らばっくられたら、終りじゃん」
「マンションの十一階まで付いてったんだけど、女房娘が寝ているから、明日必ず振込むからって、名刺裏に住所氏名電話番号書いて渡してくれたんだがな」
「振込まれなかったら、あんたの給料からまた二万円差っ引かれるんでしょ、給料無くなっちゃうね」
「うん、銀座で飲む社用族の酔っ払いに舐められて堪るか、二、三日待って振込まれなかったらマンション、会社に行ってしっかり払ってもらうさ」
「踏み倒しっぽいね?」
「約束守ると思うけど、賭けるか?」
「うん、昶の踏倒されに五百円玉一個」
「よし、男の約束に五百円玉一個」


「ほんとに秋田犬は目の表情がいいよね。ふうーん、お客さん、カンガルー犬ってそんなに強いの?」
「まあな、無愛想で大人しい奴だが、一度、近所の飼い犬ばかり食い殺していた放飼いの悪シェパードを懲らしめたことがあったな。前足を咬み折ったところで止めたんだが」
「ふん、食い殺させちゃあ良かったのに」
「そうもいかねえさ。おい、このまま錦糸町へやってくれ、今日は連れていないが、行きつけの飲み屋でもそりゃあ大人しいものよ」
「昔トルコじゃ、虎やライオンを狩っていたのに? この車に乗せたかったな」
「図体はでかいのに抜群の跳躍力でな、闘い方がまるで違う。ヤクザがブルドックを嗾けやがったが、あっという間に頭を咥えちまった。ヤー公が真っ青になっておれは何組みのって能書き垂れるから、このまま組事務所へ乗り込むかって啖呵切ってやったものさ」
「土佐犬の横綱でも敵わない? ま、どだい土俵が違うか? じゃ、甲斐犬とでは?」
「甲斐犬は油断ならねえ」
「熊狩りの友だからね」
おれは同郷の犬が聊か誇らしかった。中田英寿と同じようなものだ。この日はつい懐かしく浅草界隈とか錦糸町とか日頃あまり馴染みのない所を流した挙句、乗禁時間帯を過ぎた午前一時過ぎに銀座裏通りで拾ったのが先述のなんとも手のかかる酔払い、松戸の竹村さんであったわけだった。マンションの植込みで連れションまでした仲なのに、運賃踏倒したら男の約束が泣くぜよ。


また歯が抜けてしまった。いずれも被せた金属が抜け落ちたケースだが、もう疲労のせいとばかりは言切れない。むかし集中治療した箇所のオーバーホールの時期が到来したのかも知れない。もう若いとは言えないし、あーあ。思わず一つ溜息を吐いた。
いまなお続く精神的未熟さを若さとは呼べまい。マトゥリタ・エ・トゥット=ライプネス・イズ・オール=成熟こそ全てさ、と言ったのはパヴェーゼか、シェイクスピアか、それともこのおれ愛洲昶か? 
思えば、このおれが最も老成していたのは十歳前後のことで、以後は専ら若返りのくり返しであったような気もする。全共闘時代はおのれの思いと行動が最も近接した季節だった。それ以前と以後とは思いと行動の乖離は大きい。ストレートなのは直情的な感情だけで、思考と行動の指針はつねに別のものを指していた。それがいま、思想と行動の一致を自らに求めている。両者が一致する時がおのれの死ばかりとは限るまい、と……


運賃やっと振込んで呉れてたよ、松戸の松村さん。男の約束を連れションで固めたのが効いたのか。二万円弱でも少ないおれの給料から差っ引かれたら、痛いところだった。料金踏倒しではなかったのだから、賭けはむろんおれの勝ち。目を真ん丸くしているつれあいからまんまと五百円玉一個をせしめた事は言うまでもない。

49

「大変な事態が発生した。すぐ帰庫してくれ」
烏山=三茶往復の実車中に無線が何度も入ったから、社に有線したらこれだ。稼ぎどきなのに。
「酔っ払い運転だって警察に通報されたんだ。
測ってみろ。ふむ、000だな」
「当りめえだ。おれは一滴も飲んでないぞ。通報したのは吉祥寺で乗せたあの酔っ払いブス女二人組だな」
「そんなにパカパカ煙草吸うな!」成城署に電話する熊課長。おれはその卑屈な物言いが気に食わない、むかむかする。
「バーン!」おれはカウンター下のスチール戸袋を蹴っ飛ばす。
「事務所内は禁煙なの、知ってんだろ?」
「ババーン!」二発目の蹴りはかなり本気で入れた。
「おれがタバコ吸ってんのは、気を鎮めるためだ、何をするか分んねえからな」
「そんなもん蹴っても仕方なかろ」熊公は相変らず成城署の宿直相手に喋っている。
結局おれは助手席に坐り、同僚の運転するおれの営業車で成城署に向った。思いっきり風船膨らませたが、ここでも値は000。
「酒気は検知されませんでした」
「当り前だ。飲んでないから。酔っ払いブス女二人組の降りた場所は覚えているからな」
こんな日もままあるものだ。


彼女らをこのように扱うのはまさに尤もだ。
それに心の中では彼女らに同情しながらも
ベッドの中で彼女らを愉しむよりはずっとよい。
「一生のうちで最も強い必要なのだ」
むしろ言うがいい「おれたちはみなあの一歩を科せられている。
けれど万一おれの女があんな職業に就いたなら、
おれは怒りで息が詰ってしまうだろう、仕返しせずにおくものか」。

―――詩は「身を滅ぼした女たち」①
「生きてる証拠、爪ばかり伸びて……」
嘆くお袋の爪をおれは黙って切ってやる。心臓手術の後遺症で利き腕の自由を奪われた勝気なお袋は左手一本で家事一切をやってきた。しかし左手の爪だけは自分で切れない。おれに頼むのが癪なときは口で爪の先を噛んでいる。


「ご無沙汰、いまバイト何やってんの?」
「別に」
「多摩平でも発掘やってるよ」
「ふうーん」
「こないだなんか、サオリみたいに可愛い子が何人も地山の霜を鋤簾で引掻いていたけど、すっごく楽チンそう!」
「……」
詩は「身を滅ぼした女たち」②―――

いつも同情するのは時間の無駄だった、
実生活は恐ろしいし、同情したからって変るもんじゃない、
歯をくいしばって黙っているほうがずっといい。


ある晩
ぼくは汽車に乗って旅行したけど、控え目な服に、白粉をぬった、
真面目いっぽうの顔つきの独りの女がいた。

―――詩は「身を滅ぼした女たち」③
あんなふうに気楽にサオリに電話できるといいんだけど、あたしには無理かな? ドトールで待ち合わせして、プラパネ越しに発掘現場を見て、それから黒川段丘を一緒に散策して、腹が空いたらビール飲みながら三枚葱叉焼麺を食べたら、幸せそのものなのに!


車窓の外ではいくらか青白い灯火といくらか灰色がかった緑の草木が
世界をぬぐい消していた。ぼくらは車輌‐三等車‐の中に
二人っきりだった、あの女と若いぼくと。

―――詩は「身を滅ぼした女たち」④
一向に懲りないあたし。実人生から何も学び取ろうとしないあたし。空想に溺れて死んでしまえばいいんだ、あたしなんか!


リクパからも、サクラ先輩からも、むろんダツラからも一向に返信メールが届かない。あたしの予感どおり、縄文谷の風に吹き散らされてしまったあたしの友情たち! ヌーさんからも便りがないなんて、ブルータスよ、おまえもかって気分だよね、まったく。純生からは嬉しい賀状が何年振りかで舞込んだけど、賀状は書かないんだよね、あたしは。

あのころぼくは話しかけ方を知らなかった
そしてあの女たちのことを想って泣いていた。こうして
いらいらと観察しながらぼくは旅行したし、あの女は
何度かぼくを見つめてはタバコをふかしていた。ぼくは確かに
何も言わなかったし、何も考えなかったけれど、いまもぼくの血の中には
あのじかの眼差しと、一瞬のあの笑いとがある
それはよく仕事をし終えた者、あるべきままに人生を
黙って受容れた者だけがもつ眼差しと笑いだ。

―――詩は「身を滅ぼした女たち」⑤
もう時間がない、帰らなくては。さよなら


「ふっくら三日月のお月さん、あたしまた独りぽっちになっちゃった」
「ほっほーっ、その声はエリサじゃな、生きとったか?」
「うん、いつも淋しがり屋のエリサだよ。けど必死に仲間を求めたエリサをばかだとは思わない」
「連帯を求めて孤立を恐れず、じゃな?」
「おやすみ、ばかふっくら三日月さん」
「おやすみ、ばかエリサ」
詩は「身を滅ぼした女たち」⑥―――

思考をすぐ言葉にできる
タイプの友だちの一人が、一人の女を救って彼女の涙をぬぐって
彼女に喜びを与えたいと欲したとする。
「いや、そいつは 一生のうちで最も強い必要なのだ。
なのにぼくらは、科せられているんだ、頑なな心の中に
彼女らが唯一の力をもつように、何の役にも立たぬように」。


きみらは何千ものあの女たちを救えるだろうけど
タバコをふかして人を小ばかにした顔で見つめるか、疲れた笑みを浮べる
ぼくが見た数多くのあの女たちは
‐ぼくの良き連れあいたちは‐黙って耐え忍んで誰もかものために
贖うようつねに生きてゆくことだろう。

―――詩は「身を滅ぼした女たち」⑦

50

どうやらいまは、エリサとはこの掲示板を介してのみ、すれ違いとはいえ、交感が可能なようだ。孤独な無数の乾いた心が擦れあって不協和音を奏で、海の深みにも似たざわめく沈黙の交響曲が湧き起り、回流する。人生に疲れた心は逸るおのれの心にさえ疲れを覚えるらしい。
「でも疲れ切って皺皺の昶の心臓なんて、見たいものだね!」
と、エリサなら言うことだろうが……


パヴェーゼの数多の詩篇の中に、澄んだ喜びの流れる詩篇を見つけたよ。それは歌う喜びだね。すぐには訳さずに、一晩寝かしておくことにしよう。それから『イリアス』バリッコの訳本にも目を通しておかなくては、あたしの訳し方とは大分違うから、あまり気が進まないんだけどね。零時過ぎには眠らねばならないから、やはり縄文本の一冊のほうが無難かな、寝床で読むには? 
おやすみ

外は天気がいいし、風は冷たいけれど、光に満ち溢れている。雲ひとつない青空だ。扱う詩篇も爽やかだ。なのにぼくのコンディションは最悪だ。頭が痛い。朝から慣れないソフトに二、三時間も空費してしまった。寄り道せずにこの詩と向き合っていればどんなに良かったことだろう。
詩は「歌」①―――

雲たちは大地と風に繋がれている。
トリーノの上に雲たちがある限り
人生は美しいだろう。ぼくが仰向く
すると太陽の下、空の彼方で大きなゲームがくり広げられる。


ごく固い白い塊と風とが真っ青な空の
彼方を翔けめぐり‐ときどき塊がほどけて
光を孕んだ大きな帆となる。

―――詩は「歌」②
つい読み返してしまっていた。エリサと昶の人生とパヴェーゼ詩の詰った断章たち、車窓から後方に飛び去る風景を眺めるにも似るか。もう出かけなくてはならない。さよなら


屋根屋根の上から、何千もの白い雲たちが
群衆、敷石、騒音、何もかもを蔽う。
起き抜けに洗面器の澄んだ水を透かして
雲たちが見えたこともしばしばだった。
木木もまた空を大地と結びつける。

―――詩は「歌」③
五分間もあれば訳し落してしまえそうな平明な明るい詩篇、なのに半日はおろか、一日かかっても終りそうにない。どうやら最後の一、二行が難解なのだ。それをどうとるかで詩全体ががらりと変ってしまう。一向に捗らないのは、ぼくの風邪がぶり返したせいだけではないらしい。今夜は早く帰って風呂入って本を読みながら寝るとしよう。テレマンはまた聴けばよい。おやすみ
忘れてた、明日はまた出番だ。ほんとにおやすみ


果てしない町町は森に似ている
そこでは空はずっと上に、街路の間に現れる。

―――詩は「歌」④
長引く風邪は休憩にも似るか。そこでは人は無理が出来ない。空の青さに身をゆだねるだけだ。


木木みたいにきみはポー河畔に暮す、流れの中に
日向の家々の塊がそのように暮している。

―――詩は「歌」⑤
ああ、外国語とは分らないものだ。ましてや詩なら、言葉が分るから分るとは限らない。
なぜヴィーヴィなのだろう? ここはヴィーヴォノではないか知らん? そうなら「木々がポー河畔に暮すみたいに」となる。でも
木々がポー河畔に暮すみたいに、流れの中に
陽だまりの家々の固まりも暮している。
では、スムーズ過ぎやしないか? きみの入る余地はまったく無くなるし?


木々もまた苦しんで雲たちの下で死ぬ
あの男は血を流して死ぬ、‐けど男は歌う
大地と空との間の喜びを、都会と森との
大いなる驚異を。明日ぼくは時間があるから
閉じこもって歯をくいしばることだろう。いまはすべての生命は
空の中に失われた、雲たちと草木と街路とだ。

―――詩は「歌」⑥
やれやれ、分らないままに終ってしまった詩の一篇。これも人生の宿題ということか。思えば、分ったと思って通り過ぎてしまった詩の数々ほど危ういものはない、数多の不発地雷にも似て。例えばこの時期のパヴェーゼの日記か書簡を見れば、何か分るかも知れない。これもパヴェーゼ生前には未発表の詩篇。最初の草稿には「雲たち」とタイトルが付されていたと言う。確定された編集テキストをひとまず信頼するとしても、疑問が生じたなら、遺された僅かな草稿に直に当らねばならない。とはいえそれも数多のぼくのさかしらの一つに過ぎないかも知れないが。要はぼくはいまだにその前の段階にいるということだ。何も知らずに不思議に思う、それも大事じゃないかと。相変らず初印象に重きを置きすぎるぼくがいる、これも生きるという仕事か。


署名するのを忘れたからって、「名無しの権兵衛」って表示されるのは、少し酷過ぎやしないか、この掲示板? オデュッセウスとかノーボディとか素敵な名前も世の中にはあることだし。これでは『オデュッセイア』が『名無しの権兵衛譚』になっちまう! 別に怒ってはいないけど、ただ気がついてびっくりした。署名時にカナキーの不具合をいじった事は覚えているけど…
 

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